娘が彼を連れて来て結婚したいと言う。
父親は決まったように「どこの馬の骨ともわからない者に嫁にやれるものか」と臍を曲げる。
娘可愛さに父親の態度は無愛想である。
ところが昔から誰をも受け入れる発想が日本人にはあった。
それは、死者に対する盆の供養に見られる。
お盆の時の迎える棚の飾り方に無縁さんの分といって自分の家の祖先の霊を祀る棚の下に蓮の葉(私の地方では広く里芋の葉を用いる)に水の子(野菜をサイコロ状に切ったものを洗米とあわせたもの)を供えるのである。
決して棚の上には置かない。施主を持たない無縁の霊は立派な棚の上にはよらず、粗末な野菜の葉の上にもられた洗食いただいてお腹いっぱいにすることが出来るのだそうである。つまり、お盆の時は広く自分の家の仏様だけでなくありとあらゆる霊(精霊)に供養する業を皆でしてきたのである。
何と豊かな、心を私達の祖先は育んできたのでしょう。近頃この無縁さんの分のご馳走がなくなってきたのはちょっぴりさみしい盆供養である。
- 2007/06/30(土) 21:31:44|
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