円通寺
本尊釈迦如来
如来でありながら髪を結い、宝冠を着ける禅宗寺院特有の宝冠釈迦の形姿をあらわし田た典型的な室町時代の作例として町の重要文化財としてしていされました。
当時は室町時代の草創です。文明年間に鞠子川の洪水により諸堂悉く崩壊、現地に移転するとなりました。降って弘治三年蘭甫秀藝大和尚(円通寺開山)が甲州武田家の臣であった武尾五郎左衛門祖先(長安善久大禅定門)の補けをいただいて寺門の隆盛に尽力し堂塔完備したと聞きます。
明治二十六年に現在の本堂が再建されて百十五年を迎えます。
記録によれば、欅、杉、桧等の木材一本一本はもとより、人工、縄、餅、米、豆等に至まで
壇信徒の皆様の布施行によって建立された様子が窺えます。
又、この時記念に製作された銅版画に円通寺のこれまでに至る歩みが記されています。
これによれば、本尊 聖観世音菩薩とまず書かれていますが、平成十四年に、町の文化財調査を受けた時にこの説は否定され、宝冠釈迦如来像であることが証明され、如来でありながら髪を結い宝冠を着ける禅宗寺院特有の像で南北朝から室町朝にかけての宋風彫刻に見られる造形をよく表わしたものだということです。
次に「当寺は、往古の(室町期)の草創に属し、文明年間鞠子川(酒匂川)洪水の時に諸堂悉く崩壊」と有り当初はJRの線路下辺りにあった為に流失崩壊となったのではないかと想像できます。
ここで現地に移転ということになるのですが、円通寺が酒匂川の氾濫により流され本尊の観音様が
開成町の流れ着き「円通寺」の地名が開成町に誕生。という伝説に矛盾が生じてきます。
即ち「崩壊せしを以って現地に移転せり、降って弘治三年開祖蘭甫秀藝和尚当寺を復興せられ」
とあり曹洞宗としての開山は洪水以後となります。
本尊釈迦如来が室町時代作であるということは流出にあっていないということになりこの伝えは成立しません。更に開成町にあるS店には洪水時の古絵図が現存しています。これには円通寺が記され本尊に馬頭観音が祀られています。聖観音ならまだしも馬頭観音となると話は別で静岡県にある嵐場の円通寺の本尊、馬頭観音を想像せざるを得ません。
こんな風に見つめていると言い伝え一つをとっても想像をめぐらすことが楽しくなります。
その後、文永年間に再度の火災で伽藍は全焼ほとんど廃院の状態に陥ってしまい、明治になって
二十五世雲嘯玄乕和尚はこれを慨き相信諸氏と共に議り、一意専心現在の本堂の再建に努め明治二十六年七月に竣工されたとつたえられています。弘治三年(1557年)の開創からすれば
四百五十一年の歴史を持つ曹洞宗の寺であるのです。
今後、先祖の居場所としての円通寺のいのち
それは私達へと引き継がれ今に至っています。
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- 2008/03/15(土) 22:44:56|
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