司法試験に合格したと喜んで、ご両親が墓参りながら報告にいらっしゃって間もなくの訃報の知らせであった。
彼はすでに結婚されており第2子に当たる子がお腹の中に命を宿していた。普通なら何かあるといけないからと火葬場に行くのを止めさせるのであるが、気丈にも彼の奥さんは夫に寄り添ったのである。
しかしながら火葬場の釜の扉が開かれるとこらえていた思いが哭き声となって場内を圧倒したのである。
「やだー!」
御棺にしがみつき誰も寄せ付けない。周りの者もただただ思いを察し涙しうろうろするのみであった。
どのくらいの時間がたったろうか。両親が扉を閉める様うながしている姿があったように覚えている。彼の恩師の方や仲間が数名残り、斎食の席で法ということが話題になった。
教授
「私たちは先ず法を学ぶとき法について先輩諸氏から次のように教えられた。法という字をよく見なさい。さんずいに去ると書くだろう。つまり、さんずいは水だから余分な水分を全部とり去り、とり去って残った髓みたいなものそれが法だと教えられた。」
住職
「仏教者はそうは考えない。仏教者の法は水の流れ去る相(すがた)ととらえている。水は高いところから低い所に向かって流れる中にあって、急流になるときには滝となって流れ落ち、大河となって流れ時には地にもぐり地下水となって湧き出その場所場所にあわせて流れ去って行くもの。
人間にあってはこう生きなければだめだというもので、どう生きてもいいんだよ。それが人生と言うものなんだよ。と仏教の世界では見ている。」
要約するとこんな話になった。
この時、お腹にいたお嬢さん今年は高校一年生、「やだー」といったお母さん、どんなすがたの法の中に生きていらっしゃるのだろう。
秋にお会いするのが楽しみである。
蛇足 人間の法は一度生まれし者は必ず死ぬ。諸行無常であると言うことである。
- 2007/06/30(土) 21:20:28|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0