日々是好日

円通寺住職が日々の生活の中での様々な思いを綴っています。

「仏子安居」

この文は平成八年の「くだかけ(月刊誌)」に載せたものです。
春来たらば草自ら生ず 新春の好日言として再掲致しました。
さてさて、今年は皆様にどんな時を下さるのでしょう。

 ザーッと、髪にバリカンを入れた途端、決断しかねていた仏子は、一気に、自ら、髪を刈り込み、カミソリで剃りこんだ。三十分もたたないうちに一毫も残さず青々とした頭の雲水の相。にこやかな顔が、師の前に坐った。 翌日より静岡県の可睡斎という寺へ修行安居に出る。期間は二週間余り。仏弟子となり、将来僧侶として務めるための第一歩なのだ。
「あなたは、仏様の子だからね。」
 母親は、小さい頃からこの言葉をかけてきた。仏様から授かった子だから、仏様のお呼びが有れば、何時でも仏様にお返しできるようにしておくのが寺庭婦人の務めとは心得ているものの、
「やだなあ、何で僕が・・・・・。」
と、言う言葉に情を移している。
 師は言う。
「他人にやりたくても出来ない幸せを考えてみよ。嫌だと思うも、よしと思うも心の受け止め一つ。」
 出発の朝、早めに起き、法堂に向かった仏子は本尊様と祖父母の仏壇に一本ずつ上香、修行への旅立ちの報告と、安居の無事を祈り清々しい顔をしていた。
 私達が存在すると言うことは、必ず両親が存在する。その両親にもそれぞれ両親が有り、その又両親にも・・・・・と考えていくと、十代前には一千二十四人の両親がいないと、今の私達は存在しないこ<とになる。
 この生命の引継ぎの上に私達の存在がある。そこには、私達の意志を超えた−子供は、両親の意思・合意によってつくると言う考え方ではなく−天からの(寺では仏様から)授かりもの、だからこそ、慈しみの眼をもって育てるという生命の継承の法がある。
 法という字は、水の流れ去る相と書く。生まれたものは、必ず滅するというのが不変の法であると捕らえるなら、その死に至る相は、時

に細かく、時に急に、時に砂をくぐって地下水となり、やがて吹き上<げ泉をつくる。広がって雄大な大河となって生命を養う。こうした水に似て、人生の生きる相も一つの法。
 仏子は、今日、百尺の竿頭一歩を進め、思いを断ち切り、法を求めて旅立った。                  
 めでたしめでたし
  1. 2007/06/30(土) 21:45:15|
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