「堂南の土手に咲く山百合の花を見たら、お茶摘みを始めよ。」
古来からの年寄りの伝承言である。
この時期の茶葉の生長は1日とも言えない。香気、味、仕上り具合は、時期との勝負、
今ここしかない時を堂南の山百合は咲くことによって、地域の人々に教えてくれていた。
ところがどうした事か、今年は一本どころか一輪の花すら見せてくれないのである。
犯人は一目瞭然、山からの珍客、いのしし様であった。恐ろしい昨今の世、人間でなかったのが
せめてもの救いであった。
日本人は昔から自然を愛し、自然と共に生活してきた。
雲の動き、風のにおい、花の色、鳥の声、月の光、みんなみんな自然から感じとり、生活に役立て、楽しみ、人生をうたいあげて来た。
時には目に見えない霊のようなものまでも遊ばせ存在させることもはばからなかったし、存在する
ものとして認めていたようである。
ところが、時代が近代から現代に移行するに従って科学的思考のみが優先、というよりそれのみが正しいとされ、客観的データが全てとなって来た。
私達は、こうした時代に生きて何の疑いも持たず是としてこれを認め生活しているが、先人たちの
山百合を見つめる目と降水確率80%という確立を信じる目と・・・・・・
さてさて、どんな生活を私たちは求めてきたのだろう。
- 2008/06/14(土) 21:04:26|
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